日本の良さがわかる情報サイト


[政治] 中川昭一さんのご冥福をお祈りします



db6e22f3

2009年10月4日 午前8時30分頃、自民党・中川昭一さんが亡くなりました。
大好きな保守政治家の一人でした。将来の総理大臣だと思っていただけに残念というより悔しいです。
ご冥福をお祈りします。


故・中川昭一氏の経歴

  • 1953年7月19日東京都渋谷区宮代町(現在の広尾)に中川一郎の長男として生まれる(本籍地は北海道広尾郡広尾町)
  • 1966年3月 新宿区落合第一小学校卒業
  • 1969年3月 私立麻布中学校卒業
  • 1972年3月 私立麻布高等学校卒業
  • 1972年4月 慶應義塾大学経済学部入学
  • 1976年3月 慶應義塾大学経済学部卒業
  • 1976年4月 東京大学法学部政治学科学士編入学
  • 1978年3月 東京大学法学部政治学科卒業
  • 1978年4月 株式会社日本興業銀行入行
  • 1983年2月 日本興業銀行退行
  • 1983年12月 衆議院議員初当選
  • 1989年6月 宇野内閣で農林水産政務次官に就任
  • 1996年11月 自由民主党副幹事長に就任
  • 1997年9月 自由民主党北海道支部連合会長に就任
  • 1997年10月 自由民主党総務会長代理
  • 1998年7月 小渕内閣で農林水産大臣に就任
  • 2001年5月 自由民主党広報本部長
  • 2002年10月 自由民主党組織本部長
  • 2003年9月 小泉再改造内閣、第2次小泉内閣、第3次小泉内閣で経済産業大臣に就任( 2005年9月)
  • 2005年10月 第3次小泉改造内閣で農林水産大臣に就任
  • 2006年9月 安倍晋三総裁就任に伴う執行部人事で自由民主党政調会長に就任
  • 2008年9月 麻生内閣で財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融担当)に就任
  • 2009年2月 麻生内閣でG7後の会見が非難され、財務大臣兼内閣府特命担当大臣および金融担当大臣を辞任。後任は与謝野馨。
  • 2009年8月 第45回衆議院議員総選挙落選



故・中川昭一氏の政治姿勢
  • 農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた。
  • 財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。
  • 政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた。
  • 拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。
  • 経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に意義を唱えた。
  • 毎年靖国神社に参拝することも欠かさない。
  • 非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した。
  • 日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。
  • 官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの考えを示した。
  • 中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。
  • 勉強熱心は有名で、官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない、扱いにくい大臣だったとのこと。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。


コメントをどうぞ


メニュー

実験用システム

twitter

 

QR

qrcode